11-(4)-①-a-(b)   霊場『雄島』

雄島は、古来死者の霊魂があい寄る霊場として「奥の高野」と称された地。

 

東西40m、南北200mほどの小島ながら、平安時代末の高僧、見仏(けんぶつ)上人の松吟庵(妙覚庵)の旧址、鎌倉後期の名僧 頼賢(らいけん)の碑(国重要文化財)、瑞巌寺中興の祖 雲居(うんご)禅師の座禅堂跡、板碑、石塔婆、五輪塔、石窟などが多数ある。

▲松吟庵(妙覚庵)址
▲把不住軒(雲居禅師座禅堂)
▲餐霞亭主墓碑

この島は死者の霊が相集う特別の空間で、今生から後生に移行する中間点 此岸から彼岸への橋頭堡だったという。だから鎌倉後期にこの島を訪れた一遍上人(時宗の開祖)の高弟、他阿弥陀仏(たあみだぶつ)は

          紫の雲の迎いを松島や仏みるてふ名さへなつかし

と詠んでいる。 

 

松島は「待つ島」なのである。世捨て人、出家人にとって唯一の願いは一日も早く阿弥陀仏のお迎え。この世の極楽浄土ともいうべき松島であの世の極楽浄土を待つ。それが松島雄島なのだという。霊場としての雄島は死者、聖者の供養、参詣の「雄島まいり」する善男善女が絶えなかったと伝えられている。

 -「このような霊場の風景があればこそ、雄島は平安のいにしえより歌枕として世に聞こえ、松島といえば雄島、そして逆に、雄島と

            いえば松島、と称せられるようになったのである。雄島の霊場なくして松島なし。」

                                (松島町史通史編Ⅱ 「古代・中世の松島寺」入間田宣夫)-

見仏上人(けんぶつしょうにん)は、1104年(長治元年)に伯州(伯耆(ほうき)国、いまの鳥取県中部および西部)からこの島に来て妙覚庵を結んだ。毎日法華経を読誦し、「六根すでに浄く能く神物を役使し、霊異すこぶる多し」と称された存在であったという。その名声は京都まで達し、鳥羽院(上皇)から本尊・器物を賜るにいたったとされる。また、1119年(元永2年)には姫松千本が下賜され、これより雄島は千松島(ちまつしま)と呼ばれようになったといわれている。


西行法師の撰と仮託される説話集『撰集抄』によれば、諸国遍歴中の西行は、能登稲津で自らを「月まつしまの聖」と名乗る人物と出会っている。岩窟で帷子(かたびら)のみで端座修行中のその聖が、「毎月10日ばかりここに必ず来るが、本来住んでいるところは松島である」と言うのを聞き、「さては見仏上人と聞え給ふ人の御事にこそ」と覚り、感涙にむせびつつ、その場をはなれ、松島を目指したとされている。

 

 (参考)

   ・ 西行(1118~1190年):23歳(1141年)で出家。初めての奥州への旅は26歳から31歳(1144~1149年)ごろであり、二度は

                 68歳(1186年)の時とされている。なお、松島には「西行戻しの松」があるが、本当に西行が松島

                に来たかどうかは定かではないという。

 

   ・ 見仏上人のその高徳ぶり感激した尼将軍といわれた北条政子は、亡夫源頼朝が生前に信仰していた仏舎利二粒を納める水晶五

     輪塔を寄進し、その冥福を祈ったという。この仏舎利と水晶五輪塔は、瑞巌寺に残されている。 

              (注) 北条政子が上人のもとに手紙を送って、夫の後世を訪ねるべく依頼したのは、頼朝没後であることから、正治二

            年(1200)のころと推測される。先述の見仏上人は1104年に庵を結んだとされていることから、北条政子が託

            した見仏上人は別人の二代目か三代目に当たる上人と考えられる。 

 

   ・ 『おくのほそ道』で、芭蕉は、瑞巌寺において「かの見仏の聖の寺はいづくにやと慕わる」と記している。 

 

見仏上人の再来といわれた頼賢(らいけん)の碑が雄島の西側突端にある。徳冶2年(1307)匡心孤運など30余人が、師であった観鏡房頼賢の徳行をたたえるため建てた碑(卒塔婆)で「奥州御島頼賢碑」と呼ばれ、碑の撰文と書は鎌倉建長寺住持の一山一寧による。

頼賢(らいけん)は、15歳で九州長崎成福寺の僧となり、天台、真言を学んで講師となったが、所詮文字の学は悟りの法にあらずと知り、見仏上人を慕い42歳で松島円福寺に来て無隠円範和尚に師事したあと、京都、鎌倉で参禅したのち再び松島に戻った。寺の住持は空厳和尚に変わっていたが、住持は頼賢を雄島の妙覚庵主におした。庵を継いで(1285年)後は22年間島から一歩も出ず修行し、82歳で没したという。 

【関連年表】

1104年  見仏上人、伯耆国(今の鳥取県)から来て、雄島妙覚庵に住む。

1119年  鳥羽院、見仏上人に本尊と千本の松を賜う。

1144年  西行、陸奥の旅に出る。(~1149年)

1186年  西行、二度目の陸奥の旅に出る。

1189年  源義経(1159~)、衣川で没。

1192年  源頼朝(1147~)、征夷大将軍に就任(鎌倉幕府開府)

1199年  源頼朝が没。

1280年  一遍上人、松島を訪れる。

1285年  頼賢、雄島の妙覚庵を継ぐ。

1300年  天龍寺開山夢窓疎石、松島を訪れる。雄島で頼賢に会う。

1307年  雄島に頼賢碑が建立される。

1333年     鎌倉幕府滅ぶ。

1613年     伊達政宗・忠宗親子2代から強い要請を受け、雲居禅師(1582~1659年)、松島に入る。瑞巌寺中興の祖。

1636年  伊達政宗(1567~)が没。

1637年  雄島に把不住軒(雲居の座禅堂)が建つ。

1659年  雄島に松吟庵が建つ。

1689年  芭蕉、松島に来る。

1694年  「おくの細道」が刊行。芭蕉、大阪にて没(51歳)。

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