top of page
11-(2)-④ 東名運河(松島湾・東名~野蒜~鳴瀬川河口)
​「奥州中原の地に一大貿易港をつくり、ひとり宮城や東北のみならず、東日本の広く国内、国外に結ぶ拠点港」として、長崎港に4年、横浜港に11年先立ち、明治11年7月にわが国初の洋式築港として着工した野蒜築港。その第一期工事の中で、当初計画にはなかった東名運河(3.2㎞)の開削が盛り込まれた。これは、港口突堤の築造に従って椿湾の埋塞の恐れが出たためだった。
1.新市街地跡で野蒜築港などについて説明を受ける(案内は野蒜築港ファンクラブの松川さん)2010.12.04
​2.野蒜築港計画図(一部)
​2.黒澤敬徳碑     2010.12.04撮影
​3.碑の下部にファン・ドールン(璠杜崙)の名が見える 2010.12.04撮影
3.野蒜測候所跡碑  2010.12.04
4.運河側から見上げる野蒜築港碑  2010.12.04
5.レンガ橋台(上の橋) ※手前は新鳴瀬川    2010.12.04
6.レンガ橋台(下の橋) ※手前は北上運河   2010.12.04
7.東名運河(野蒜駅前付近からの野蒜水門の方角)  2007.08.16
8.東名運河沿いの道  2007.08.16
9.東名運河と野蒜海岸の間に広がる余景の松原  2007.08.16
10.龜岡鹽田造墾碑  2007.08.16
【亀岡塩田造墾碑】
東名運河の開削に伴い農地を失うこととなった村民の救済のために、私財を投げ打ち十町歩余の塩田を造墾した浜市の齋藤廉吾ほか4名の徳を称え、後世に伝えようと建立された。
碑文の内容は、次のとおり。
(これらは、野蒜築港ファンクラブの松川さんから提供していただいた。)
出典:『企画展 松島湾の塩つくり』(2016.03.19~06.19)     提供:東松島市奥松島縄文村歴史資料館
11.船から見る東名水門    2010.12.04
12.サンセットクルージングの〆は特産の焼カキ堪能  2010.12.04
※サンセットクルージングの後はカキを焼いて大いに味わう。
​13.松島湾内から沈む夕日を眺める(野蒜・東名・松島湾サンセットクルージング)   2010.12.04
​14.白鬚神社      2007.10.23
鳥居脇の由緒書には次のように記載されている。
「往古鳴瀬川に三島あり 沖の明神 中の明神 岸の明神と稱し 各島の頂上には当社御祭神たる猿田彦の大神沖の明神に祀り布留霊の神は中の明神に祀り天の賣女の神は岸の明神に祀り、藩祖公年貢米の輸送船漁船に至りては一層御神徳の顕著なるを感激し 屡 堂宇を建立せるも再度激浪の為流失せるを遺憾として今を去る約三百年前現在の地に遷座したり、明治二十八年偶鰯の大漁に會し氏子神殿及び拝殿を改築寄進す 明治三十九年 神社合祀に基き村内格社を合祀せり 明治初年村社に列し現在に至る
 右の文書は神社本庁に登録せるものである
白鬚神社十四代目宮司 亀廼井〇人が作成した文である」
  (注)「〇」は禾へんに兄
すぐ近くには、白鬚神社、稲荷神社、山神社の平成元年神社改修記念碑がある。
また皇太子殿下は、野蒜築港跡を行啓された際に記念植樹を行っている。
15.鷲巣山(場所:野蒜海岸)  2015.02.19
16.不老山からの眺め(場所:野蒜海岸)  2015.02.19
かつては海中にあった不老山。
解説には次のようにある。
         不 老 山
           Furozan(Hill)
松島の東方、野蒜海岸にあり山脚に幾多の洞穴あり波濤衝撃して其中に出入りし激して巌頭に砕け一進一退雷の吼ゆるが如く雪の飄へるに似たり亦一奇観とするに足る
出典:『松嶋写真帖』(宮城県庁 大正2年9月23日発行)
bottom of page