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貞山・北上・東名運河事典
ていざん・きたかみ・とうな
9-(1)-③ 重吉神社
所在地:宮城県石巻市門脇字新舘
重吉神社由来の記
重吉神社はその昔川村家家中の家臣達が重吉翁の墓前
に祠を建て重吉翁の御霊をお祭りしていたが昭和七年現
在地に移し建てられた社である。此の地は川村孫兵衛翁
の屋敷の一角で、昔は弓の的場や馬の調練馬場跡であっ
たと言う。 御神体の川村孫兵衛翁は慶長の初め(一五
九六年)伊達政宗公と主従の約を結び、家眷三人と仙台
領に来て七十四歳で此の地で没するまで広く土木の神と
祠られる程数々の河川土木工事の業績を県内の各所に遺
し、特に北上川河口の付替工事の大偉業が天聴に達し大
正四年、大正天皇より正五位の御贈位を賜った。
当地は通称「釜」という地名で呼ばれるのは重吉翁が在
世中定川の河口近くに塩田を作り、大釜を据えて塩を造
った事に由来する。 重吉翁は北上川付替工事完成の恩
賞に伊達藩主より野谷地を貰い、それを開墾して一族家
臣に分ち与えた。重吉には三人の娘があり「夫々」長女婿の
加藤喜衛門三男孫兵衛元吉には(六百二十八石)、二女
婿の日野長門二男、膳太夫資吉には(四百二十三石)、
三女婿の横山甚蔵二男伊兵衛重成には(三百七十石)、
を分ち与えた新館、中屋敷、浦屋敷、明神、等の地名は
川村家ゆかりの地名である。
平成三年八月
川村孫兵衛翁ゆかりの施設等環境整備協賛会
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