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貞山・北上・東名運河事典
ていざん・きたかみ・とうな
6-(7)-① 赤井江あかいこう 成立過程

▲赤井江と岩沼海浜緑地北ブロック
<成立過程>
・元禄14年の伊達文庫古絵図によると、赤井江は南側から徐々に砂洲が伸張している様子が伺え、外洋に開口していた。
・赤井江地域の明治末期から最近までの地形の変遷は次の図のとおりである。
・明治40年の地形図によると、既に赤井江と海との連結は失われている。しかしながら、潟湖は、現在貞山堀と連結している場所を中心にして南側は現在下水処理施設が立地している付近まで、北側は岩沼海浜緑地施設が整備されている付近まで広がっていた。
・昭和37年、赤井江の潟湖のうち15.8haは、干拓され水田となったが、昭和55年阿武隈川下流流域下水道県南浄化センターの建設着手により、施設の敷地となった。
・昭和43年の地形図では、ほぼ現在の形まで潟湖が縮小している。

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