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6-(2)-③ 六大工事
(資料提供:宮城県公文書館

 県令松平正直は、野蒜築港との関係から街道等の開削費を国庫に求めたが、作並街道以外は却下されたため、新たな方法によって交通路の整備を目指した。

◇ 「起業公債発行之議ヲ県会ニ付セラレサルヲ請フノ嘆願書」(明治15年4月20日)
 → 仙台区の大立目謙吾らが「県債の六害」を指摘し、県債に関する議案を県会にかけないよう県令松平に求める嘆願書を提出した。

  県令松平は、水陸運輸の整備を目的とした“六大工事”の総工費80万円を県債によって募集する計画を内務卿山田に上申した。県債計画は日

  本初の試みだった。

  しかし、計画が明るみに出ると、県内で県債是非論が沸き起こり、結局県令松平は県会にかけず、県債による六大工事は事実上中止と

  なった。

   【六大工事】
   ① 北上運河、東名運河、貞山運河の開削
   ② 女川鷲ノ神と万石浦を結ぶ運河の開削
   ③ 鳴瀬川の改修及び羽後街道(鬼首道路)の開削
   ④ 古川~野蒜の中間地点と吉岡を結ぶ街道の開削
   ⑤ 迫川の改修
   ⑥ 江合川の改修

◇ 「地方税ヲ以テ支弁スヘキ事件中数年ヲ期シテ施行スル儀ニ付具申」(明治16年5月14日)

  → 県令松平は、野蒜~福島の鉄道敷設に伴う連絡道路等の整備のため、新たに七つの土木業を計画し、七ヵ年での実施を内務卿山田に

   上申した。

   県債による六大工事中止後、各郡は土功連合会を結成し、土木工事費(協議費)を支出することを決定した。そして、鉄道への期待が

   高まりつつあった明治16年(1883年)5月、県令松平は六大工事(七土木事業)について上申し、あわせて総工費68万円余の3分の1を

   国に求めた(3分の2は地方税と協議費から支出)。結果、内務卿山田から七ヵ年計画による実施について許可が下り、鬼首路線の経

   費を除いた総工費の3分の1に当たる17万円余の国庫負担も認められた(秋田県会は鬼首路線開削をまだ決定していなかった)。こ

   うして同17年3月、六大工事(七土木事業)起業式が塩釜で催された。

   【六大工事(七土木事業)】
   ① 羽後街道鬼首路線(秋田県境~玉造郡名生定)の開削
   ② 羽後街道中新田路線(名生定~岩出山~中新田~吉岡)の開削
   ③ 羽後街道古川路線(岩出山~古川~松山~野蒜)の開削
   ④ 陸中岐街道(沢辺~米谷)の開削
   ⑤ 東浜街道(米谷~志津川)の開削
   ⑥ 貞山運河の開削
   ⑦ 松島湾の浚渫

(追記1) 
県令松平正直は、野蒜築港工事の進捗に伴い、その効果を東北各県に及ぼすために、明治16年に六大工事(七土木事業)の一つである木曳堀、舟入堀、新川(貞山運河)の改修に着手した。貞山運河改修工事は、松島湾口(塩釜市牛生)~阿武隈川河口の約36kmを6工区に分けて行なわれ、宮城集治監に収監されている者までもが動員された。また、蒸気浚泥器やダイナマイトなど当時の最新技術も駆使され、同22年に貞山・北上・東名の各運河によって北上川から阿武隈川まで通船が可能となった。明治19年の船積高が1万6922石、同20年が8万6833石とあり、築港計画中止後も運河需要のあったことがうかがえます。しかし、大雨や洪水のたびに運河に土砂が流れ、維持管理は困難を極め、さらに明治23年に東北本線が一関まで開通するに及んで需要は激減していった。

◇ 「宮城集治監より宮城県土木課宛の工費支払依頼書」(明治18年10月21日)
 → 集治監は、貞山運河の改修工事を請け負い、工事費2,700円の支払いを県に求めている。      

   (注) 集治監に収容されていた西南の役の国事犯が動員されたという説があるが、それは誤り。

      西南の役の国事犯は、宮城監獄に収監(明治11年)。後に宮城監獄から宮城集治監に移送された13名も、明治14年4月までに全員

      が釈放されている。

         

    参考資料:『宮城集治監雑考』 昭和58年6月30日 発行所:宮城刑務所(非売品)

         宮城県公文書館企画展図録集 Vol2 から抜粋し、転載。       

          ※企画展  『野蒜築港再発見 みやぎ近代化の礎』

                期間:平成18年10月20日(金)~19年1月12日(金)  場所 :宮城県公文書館 3階展示室(入場無料)

(追記2)
新旧鳴瀬川間の運河開削に当たっての「岩石の破砕法」
                                          資料提供:野蒜築港資料室
陸羽日日新聞  明治15年5月19日
同港来信

新旧鳴瀬川の間なる運河の中程は河底(かてい))岩石多く、干潮(ひしお)の折は小舟の通過も出来かぬる程ゆえ、土木局出張官中村氏が指図して、陸地に於て岩を砕くに(ハッハ)を用ゆるが如く、先ず水底(すいてい)なる岩石へ孔を穿(うが)たしめ、径(わた)り一寸余節抜(ふしぬき)の竹を水面より此孔(このあな)に挿入(さしい)れ、機械もて中なる水を抜取りたる後、竹の上口より破裂薬をたたき込み、之に口火を挿して岩石を破裂せしむるに程能(ほどよ)く功を奏するよし・・・

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