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3-(2) 仙台港の開発

                                    

(1)仙台新港建設の胎動

 

仙塩特定地域開発計画及び建設が進行するに伴い、産業基盤整備のための大型港湾の必要性を説く議論が出てくる。

当時の東北大学の冨田芳郎教授は、東北地方の産業構造の再編成のためには、工業開発が前提であるとし、「仙台港と綜合工業地帯建設の構想」(東北研究8-2 昭和33年4月 東北開発研究会)を発表する。


即ち、仙台市長浜海岸に、延長1,200m及950mの防波堤を建設し、航路水深12mを確保、貞山運河沿いに幅員300m  水深12mの泊地を掘り込み、延長3,500mの水際線を確保するもので、その浚渫土量は約10,000千㎥に及ぶものであった(図2・5・ 7)。冨田氏は苫小牧港の掘込港湾を参考とされたようであるが、この時期に掘込式の仙台港構想を発表された意義は大きく、反響も大きかった。

宮城県経済長期計画と工業開発

 

昭和35年12月、三浦知事は昭和36年から42年までの7ケ年にわたる「宮城県経済長期計画」を策定し発表する。


本県の県民分配所得を33年の73,706円から、42年には159,709円(216.7%)に引き上げるため、鉱工業生産水準を33年の72,949百万円から、42年には258,178百万円、353.9%の成長を目標としたものであり、工業開発を明確に打ち出したものであった。そして「この経済長期計画においては、国の所得倍増計画に沿った港湾整備5ケ年計画との関連のもとに、工業振興をはかるため港湾整備を重点的に推進することとした」とし、塩釜港の拡張整備による仙塩工業地帯の開発を、本県工業化の大きな柱としていた。


これを受け、仙台新港の開発構想が着々と練られ、その胎動がはじまるのであった。なお36年から37年にかけて、商船オランダ丸の元船長であった川村豊三氏は、東北振興のためには工業の開発が必要であるとの特論から、仙台市長浜海岸に巨大タンカーの入港し得る堀込港湾構想の幾つかを画き、各方面にその実現方を説いたりもした。

仙台新港計画登場一新産業都市建設計画

 

政府は全国総合開発計画の具体的な促進をはかるため、昭和37年5月に特別立法として、新産業都市建設促進法を制定する。宮城県では「新産業都市仙台湾臨海地域開発計画」を策定し37年10月に発表する。


この計画で、はじめて仙台新港が公式に登場する。 即ち「本港は仙台市東部の長浜海岸に、南北に二本の防波堤を築造し、既設貞山運河を改修し塩釜港との有機的な連けいをはかる。港湾規模は5万~10万t級 船舶の入港を可能にするため、掘込の航路・泊地の水深を10~14mとし、将来16mまで浚渫の予定である」としている。
                                                             
つまり、水深10m 15,000t級船舶が接岸し得る公共岸壁4バースを有するほかは、立地工場の専用水際線とするもので、今日の仙台港の原型をなすものであった。この所要事業費は348億円余とされている(表 2・5・9)

昭和37年5月   国が新産業都市建設促進法を制定

昭和37年10月 宮城県が「新産業都市仙台湾臨海地域開発

                             計画」を策定・公表

●港湾の整備・管理には港湾法が適用(港湾区域の設定)

          ↓

  ※一般的に、新港整備の場合、地方港湾として指定を受け

            た後、「地方港湾改修事業」で港湾施設の建設を進め、

   実績積み重ね後に重要港湾に昇格指定され、本格的な整

   備が開始

 

●重要港湾としての仙台新港の整備に向けて、既に重要港湾で

 あった塩釜港(明治43年指定)とが水路(貞山運河)で連結

 されている点に着目

               ↓

●運河を港湾区域に編入し、重要港湾塩釜港の一港区に位置づ

 、重要港湾塩釜港の改修事業費枠を活用し、早期かつ高い

 補助率で仙台港の建設推進が可能に

      (参考:国庫補助率)

          重要港湾 1/2   地方港湾 1/3

仙台新港・港湾調査の実施

 

以上の基本構想と併行して、運輸省第二港湾建設局と宮城県の共同による仙台港の調査が昭和36年度より開始された。調査は地質・気象・波浪・潮位・潮流・漂砂など多岐にわたった。
            
(注)表2・5・10 仙台清閑発調査費一覧表・・・省略


東北の土木史(小野川繁澄 斎尾弘己)によれば「調査は、まず目標を港湾位置の選定におき、工業用地ならびに地質調査を重点的に進めた。その結果、港湾背後の工業用地として七北田川から七ヶ浜町を含む低湿地帯約600万坪を予定することができ、その地質地盤条件についても汀線測量・深浅測量・底賀の粒度分析および鉱物分析などを実施し、港湾建設予定地を含めた飛ケ崎~蒲生間約3kmの海岸は漂砂規模あるいは波浪の淘汰作用も少なく、最も安定した海岸であると判定され、さらに蒲生沖に設置した波高計による波高観測の結果でも、関東以北の太平洋岸他県海岸に比較して大きくはないことが認められた。この結果、昭和39年度までの調査により、港湾の基本計画、海象・気象および地質の大部分の事項が ほぼ定性的に確認され、新港計画の基本的構想を推進するうえで支障はないものと判断されるに至った」とある。
このようにして仙台新港構想は、より具体的計画へとすすむのであった。

(2)仙台新港の計画成る

 

その後の新産業都市計画の経過(「仙台湾地区新産業都市建設計画」40年1月 宮城県)は「38年7月、地域指定の内定があって、同年8月27日指定中請書を提出した。こえて39年3月には、仙台湾地区が正式に指定され、その区域は県申請どおり仙台をふくむ4市12市町村となった。また、同時に示された建設基本方針では、県構想の眼目となっていた仙台工業港の開発をはじめ、大綱としては県の開発構想の基本線が一応全面的に認められた」


これによって県は挙げて仙台湾地区の建設基本計画の策定に取り組むのであるが、その要となるのは港湾計画、特に仙台新港の計画であり、その一日も早いオーソライズが待たれた状況であった。

仙台新港の役割・目標値


・工業生産計画

新産基本計画によれば、昭和37年の宮城県の工業出荷額は886億円であったものを、45年には、2,740億円に高めるもので、このうち重化学工業分は1,060億円であった。さらに50年における工業の生産規模の目標を、おおむね4,190億円とするものであった。

         (注) 表2・5・11 仙台港区後方圏(臨海型)工業出荷額・・・省略


そして仙台港背後地の役割は「仙台湾地区内各工業地区および東北地方の各工業地区へ半製品を含む工業原材料を供給する基地として、重化学工業を主体とした総合工業地区とする。業種は当初は機械工業、鉄鋼圧延(45年規模、鋼材16万t、年出荷額64億円)、同加工の部門を主として配置するが、これらの重化学工業化の展望のもとに、昭和50年には石油精製(1日5万バーレル、年出荷額254億円)、昭和55年においては高炉式製鉄業をも立地させ、東北地方における重化学工業、エネルギーセンターとする」ものであった。
以上を勘案して仙台港臨海部の50年における工業出荷額を1,067億円と設定した
(表2・5・11)。
         (注) 表2・5・12 仙台港区の目標・・・省略

 

・計画目標(取扱貨物量)の設定

仙台港での昭和50年の工業出荷額から、業種別生産規模と生産原単位、海送依存度等から50年の取扱貨物量を370万tとした。


・臨海工業用地

仙台港及び塩釜港の周辺に1,989ha(603万坪)の工業用地を確保し、そのうち1,083ha(328万坪)を、浚渫土砂を利用して仙台港周辺に造成する。

仙台港の計画成る

 

以上の役割や目標を担って仙台港の計画策定は急ピッチですすめられた。その主なる骨子は次のとおりであった。


・ 防波堤:台風時の波浪方向及びうねりの主方向が南東であるため、波浪による港内の侵入波を遮蔽し、静穏な航路、泊地を保持する。また、漂

       砂の卓越方向が北上の傾向にあるため南防波堤をもって阻止する。 海風の港内に影響を及ぼす風向は東方向であるが、東方40km地点

       には牡鹿半島が伸び、吹送距離40kmに対する風速は0~10m/secが大部分であり、15m/sec以上の風速は稀である。吹送距離40kmに

       対する風速を10m/secと仮定し計算しても、波高は1.2mであり、屈折及回折の影響で1.0m弱の波高とみられ、東方向の風波はさほ

      ど影響はないと思われた。 なお、防波堤の遮蔽効果及び港内静穏度をみるため、東北大学において模型実験も行われた。

・ 航路:10万t級船舶を対象として、水深を16mとする。港口部幅員は、遮蔽効果と操船技術を考慮し、300mないし600mとする。

・ 中央水路:15,000t級船舶を対象として、水深10m幅員250mとした。また船廻場として450mの幅員をとり、操船上問題はない。

・ 北水路: 5,000t級船舶を対象として、水深7.5m幅員200 mとした。分岐部の角度は操船上から決定した。

・ 船溜:北防波堤基部に、水深7.5mの船溜りを設け、工事用基地・作業船船溜とし、将来は小型船船溜とする。

・ けい船岸:この計画により、延長3,500mの専用水際線を確保する。専用水際線を有しない企業等に対応するため、15,000t級水深10m岸壁2  

                           バースを、中央水路奥部に計画する。

昭和39年8月16日開催の港湾審議会第23回計画部会の議を経て、原案通り決定。

■塩釜港区(塩釜港)

   東北の玄関・国際貿易港

 

■仙台港区(仙台港)

  工業開発を誘導する大型工業港

  • 臨海工業用地として、仙台港と塩釜港の周辺に1,989ha(603万坪)を確保

  • このうち1,083ha(328万坪)を、浚渫土砂を利用して仙台港周辺に造成。

        ★総浚渫土量=27,000千㎥

        造成総土量=16,500千㎥

              他転用土量=10,500千㎥

     (建設用骨材、東北自動車道、東北新幹線工事等へ)

以上の計画は、碍和39年8月16日、東京丸ノ内ホテルで開催された、港湾審議会第23回計画部会の議を経て、原案通り決定をみた。野蒜に想が練られて以来、まさに80数年ぶりの大型港湾計画の出現であった。この港湾計画の決定により、仙台湾地区新産業都市建設基本計画は、39年12月25日に正式承認を受けるに至り、仙台湾岸の開発は大きく歩み出すのであった。

このようにして、塩釜港は東北の玄関・国際貿易港として、仙台港は本県の工業開発を誘導する大型工業港として、それぞれ機能を分担しながら「一大仙塩港」としての夢を抱いてのスタートを切った。

  出典:『みなとを拓いた四百年-仙台湾沿岸域の歴史-』(非売品)(昭和62年8月 運輸省第二港湾建設局塩釜港工事事務所)

                                                        

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