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12-(5)  国指定史跡 見沼通船堀

1.見沼通船堀の位置

   

   所  在  地:埼玉県さいたま市緑区大字大間木・下山口新田

   指定種別・名称:史跡・見沼通船堀

   指  定  年  月  日:昭和57(1982)7月3日

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(『国指定史跡 見沼通船堀』さいたま市教育委員会文化財保護課作成リーフレットから抜粋コピー転載)

2.見沼通船堀の歴史と概要

 

 江戸時代初期の寛永6(1629)年、関東郡代伊那(いな)忠(ただ)治(はる)は、見沼という大きな沼を灌漑(かんがい)用水池として造成することにした。このとき忠治は、八丁(約900m)の堤を造成し、見沼を溜(ため)井(い)とした。これにより、八丁堤のから南の地域では開発が進んだが、その一方、見沼沿岸では水没田が出るなどの弊害も現れるようになった。

その後、8代将軍徳川吉宗の時代になると、幕府財政再建のため、その命を受けた井沢弥(いざわや)惣(そ)兵衛(べえ)為永(ためなが)が行った新田開発により干拓された。

 享保12(1727)年から翌13年に行われたこの事業の際に、八丁堤を切って見沼の水を排水し現在の芝川を作り、旧溜井は新田に造成された。またこの新田用水として、利根川から水を引くこととし、現在の行田市下中条から60kmに渡る水路が開削された。この水路は、在来の見沼に代わる用水路という意味で見沼代用水路と呼ばれた。

次に為永は、見沼代用水路上流の地域と江戸との間に舟運を行うことを考え、享保16(1731)年に東西2本の見沼代用水路とその間を流れる芝川とを結ぶ運河(見沼通船堀)を開削した。通船堀は、東縁側(約390m)と西縁側(約650m)とに分かれている。

 見沼通船堀の最大の特徴は、見沼代用水路と芝川との3メートルもの水位差を調節する閘門状の施設となっていることにある。

 江戸時代中期の土木技術や流通経済を知る上で貴重な史跡として、昭和57(1982)年7月3日に国指定史跡になった。また、平成14(2002)年12月19日には、通船に携わった人たちの信仰を集めた水神社(所在地:さいたま市緑区大間木)に加え木曽呂の富士塚(昭和55(1980)年国指定重要有形民俗文化財 所在地:川口市大字東内野)も指定地に追加されている。

通船模式図(見沼通船堀).jpg

(『国指定史跡 見沼通船堀 閘門開閉実演』さいたま市教育委員会文化財保護課作成チラシ(裏)から抜粋コピー転載)

3.閘門の構造

 

 東西の通船堀には2つの関が設置され、その間を閘室としている。4つの関は概ね同じ寸法で、板張りの全長は5間半~6間半(約9.9~11.7m)、底面に太い松材を使用。底張りの幅は狭いところで9尺(約273㎝)。柵面の高さは約12尺(約364㎝)。関枠がケヤキの角材で作られ、ここに角落板(幅6寸(約18㎝)長さ11尺(約333㎝)厚さ2寸(約6㎝))を付けたり外したりして水位を調節する。

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(東縁一の関から二の関) 2019.08.21撮影

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(東縁一の関) 2019.08.21撮影

4.通船堀で使用された船

 

  底が平らな長さ11m、幅2m程のもので約60㎏の米俵100~150俵積みの艜舟(ひらたぶね)船

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(復元された艜舟 スケール:二分の一) 2019.08.21撮影

5.関連史跡

 

 次の水神社および木曽呂の富士塚は、平成14(2002)年12月19日 国指定史跡『見沼通船堀』指定地に追加されている。

 

■水神社 

 見沼通船堀が開通した翌年の享保17(1732)年6月創建と伝えられている、水難防止を祈願して祀られた神社

  祭神:罔象女命   所在地:埼玉県さいたま市緑区大間木2395

   

■木曽呂の富士塚   国指定重要有形民俗文化財 昭和55(1980)年4月24日指定

 富士山を模して築造した塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心やすく登山できるようにと安永9(1780)年高田水稲荷(みずいなり)の境内にこれを築いたのが始まりである。

 木曽呂の富士塚は、地元で“ふじやま”または“木曽呂浅間”と呼ばれ、寛政12(1800)年に富士講の一派である丸参講(まるさんこう)の信者蓮見知重(はすみともしげ)の発願によって、見沼代用水と通船堀(つうせんぼり)の連結点の縁に築造されたもので、高さ5.4m 直径約20m、塚全体が盛土で築かれている。頂上には、お鉢めぐりができるよう火口が掘ってあり、又、塚を貫いて胎内くぐりの穴を設けている。

 富士塚の麓には、文化2(1805)年造立の蓮行知道居士(蓮見知重)の碑があり、富士塚築造の由緒が刻まれている。この他、塚ならび周囲には、享和4(1804)年の石燈籠、天保4(1833)年の石鳥居等丸、参講によって造立された石造物が多く残されている。富士塚の中でも古い築造で、特に富士講が築造した埼玉県下のものでは最も古く、庶民信仰の様相を示すもので、貴重である。

(以上、現地案内板から本文部分を転載)    所在地:埼玉県川口市東内野594他

※画像はいずれも2019.08.21撮影

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​【2019閘門開閉実演】

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(一の関に水位調節用の板が落とされる) 2019.08.21撮影

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(せき止められた一の関の裏側)  2019.08.21撮影

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芝川(八丁堤)  2019.08.21撮影

(見沼通船堀閘門開閉実演の様子  2019.08.21撮影)

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