12-(1)-② 元禄潜穴
​▲元禄潜穴案内板(後方に供養碑が見える) 2010.05.09
​▲元禄潜穴穴頭の水門跡   2010.05.09
​▲元禄潜穴穴頭  2010.05.09
​▲元禄潜穴工事供養碑     201.05.09
​▲元禄潜穴ずりだし穴(18か所、うち現存9か所)       2010.05.09
(注)次の解説板では縦穴(ずりだし穴)10箇所とあるが、平成11年3月作成の『元禄潜穴ずり穴現況調査報告書』(松島町教育委員会)では18か所とされている。なお、この報告書のずり出し穴位置図では19まで番号が付けられているが、No10は無い。
​▲解説板のあるずりだし穴近くの見事なコブシの木   2010.05.09
​▲おまん地蔵(右の石祠 中に小さなお地蔵様が祀られている) 2010.05.09
※脇の堂碑によれば堂宇が腐朽したのでこれを再建とある。おまん:享年16歳
▲元禄潜穴工事供養碑 201.05.09
 
元禄6~11年の100名、元禄11年8月の大越喜右衛門ほか6名、享保7年7月の100名とおまんの霊とある。
大越喜右衛門は工事の総指揮者で、藩主の現場視察に混乱を招いたという自責の念から自刃して果てたという。6名はその追随した技術者。
人夫100名と娘おまんは、人夫賃を払えなくなった人夫頭の謀略で穴水没の犠牲になったと伝えられている。
​▲元禄潜穴ずりだし穴の工法等の説明板       2010.05.09
竪穴を上から掘り、それらの穴を横掘りで連結させる方法がとられた。
この他、「神楽算(かぐらさん)で直面を巻き上げる説、木製足場を作り滑車で釣り上げる説がある。
※詳細は、『元禄潜穴』(三浦誠一 丸善仙台出版サービスセンター   
 2008年1月15日発行)を参照のこと。
​▲おまん地蔵わきの大イチョウ   2010.05.09
​▲おまん地蔵のすぐ近くをJR東北線が走る   2010.05.09
​▲元禄潜穴穴尻       2010.05.09
​※すぐ近くには『東宮殿下一分間停車記念の碑』解説板が置かれている。
​▲元禄潜穴穴尻       2010.05.09  ※水の濁りは田植えの影響による。
​▲元禄潜穴穴尻からの高城川との合流点     2010.05.09
​▲町民の森奥に大越喜右衛門等の墓とされるものがある。   2010.05.09
​▲墓地への道を上った先にある展望東屋  2010.08.01
​▲赤井家墓地への入口  2010.08.01
赤井氏:虎之間番士 425石7斗8升 在郷屋敷 幡谷村、仙台屋敷 東二番丁立町東側北角
     "『幡谷郷土誌』によれば、「赤井氏はもと石巻の葛西氏の部下で、桃生郡赤井村に領地があったが、大崎葛西一揆のとき敗れて、一時
    最上領にのがれ、後に伊達氏の招きによってここに食禄を給せられていたものと伝えられる。死ぬときに墓を旧領赤井の見えるところ
    にと望んだので、この山頂に葬ったのであると伝える」と記している。”   出典:松島町史 通史編Ⅰ (平成3年3月28日発行)
​▲大越喜右衛門の墓とされる土まんじゅう  2010.08.01
※自刃し果てた大越と後追いの6名の屍は、後難を恐れてか野ざらしのまま幾日か放置されたが、やがて付近の人たちによって埋葬されたのだという。
​▲園内にある猿田彦命神社   2018.02.26
​▲センターロッジ  2007.08.16
​▲社内の猿田彦命神   2018.02.26
​▲園内広場と遊具の一部   2007.08.16

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