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貞山・北上・東名運河事典
ていざん・きたかみ・とうな
1-(1) 運河の構成
① 運河の名称と位置づけ
『貞山』(ていざん)とは、伊達政宗公の追号であり『貞山運河』という名称は、明治になって、 政宗公の偉業をしのぶ人々によって名付けられました。
かつては「木曳堀」、「御舟入堀」、「貞山堀」などと呼ばれていた運河。どのような経緯で『貞山運河』と名付けられたか?
また、河川法の改正にともない、運河の位置づけがどのように変遷を遂げてきたのか? それは、次の資料をご覧いただければ解ります。
なお、河川法上の水系指定については、この資料において8河川とされていますが、告示等では7河川となっていますので、留意が必要です。
▲木曳堀
② 貞山運河(木曳堀・新堀・御舟入堀)
阿武隈川河口と松島湾を結び、岩沼市、名取市、仙台市、多賀城市、七ヶ浜町、塩釜市の5市1町にまたがり、南から『木曳堀』(こびきぼり)、新堀(しんぼり)、御舟入堀(おふないりぼり) と呼ばれ、現在、延長28.9km、河幅25~45m、水深(干潮時)0.3~1.3mです。
▲新堀 ▲御舟入堀
<現在の河川区分との関係>
③ 北上(きたかみ)運河・東名(とうな)運河
野蒜築港に合わせて開削されました。松島湾から鳴瀬川間を東名運河、鳴瀬運河から石巻の旧北上川間を北上運河と呼び、東松島市、石巻市にまたがっ ています。
延長はそれぞれ3.6kmと13.9km、河幅20~60m、水深(干潮時)0~0.8mです。
▲東名運河(旧野蒜駅付近) ▲北上運河(矢本海浜緑地公園付近)
④ 高城(たかぎ)川
品井沼と鹿島台地域の水害防止に重要な貢献を果たした人工河川。鹿島台町から松島町を元禄時代・明治時代にそれぞれ作られた潜穴(トンネル)と水路で結んでいます。
延長は品井沼から松島湾までの約7.5kmです。
▲高城川(明治潜穴吞口側) ▲明治潜穴吐口
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